フォトグフラファー紹介「宮良巧」

BlueSodaのフォトグラファーを紹介します! フォトグラファー「宮良巧」 石垣島出身の地元フォトグラファー。
沖縄県石垣市出身。
高校卒業後に東京で挙式撮影を主とするフォトスタジオで写真を学ぶ。
2020年に石垣島に戻ってきてからは地元の良さを伝えるべく、ロケーションフォトの会社に入社し数々の撮影を行い、独立。
2022年からBlueSodaに参加。
島の変わりやすい天気に、しんまんちゅの勘とフォトグラファーとしての経験で臨機応変に対応するのが得意。
高校生の頃、僕は都会に憧れがありました。
石垣島には高校より上の学校がありません。
卒業したら多くの同級生も同じように、島を出て都会で学校に行ったり、都会で仕事をする憧れを持っています。
僕もその一人で、僕は高校を卒業したら、とにかく東京で働きたいと思ってました。
東京で僕は、テレビ番組などの映像の編集の会社に勤め、映像編集の仕事を務めました。
その頃、僕はすでに写真を撮ることが好きでした。
でもその時は、好きなことを仕事にして、嫌いになることが怖くて、違う仕事をしようと思ったのです。
それでは映像という写真と大きくは離れていない世界に身を置きました。
島から出て、1人で東京で暮らし始めた僕にとっては全てが初めてで、苦労しました。
それに加えて、テレビ業界はかなり労働時間が長い業界でした。
朝から晩までそれこそ1日中、机に座って、ずっと誰かが撮影した映像をテレビ用に加工する。
僕がカメラを好きになって始めた頃の感覚とは随分違うところに来てしまったと感じました。
僕は好きなことを仕事にする決意をしました。
東京で挙式の撮影をメインにする撮影スタジオに転職しました。
結婚式の写真は人はもちろん、料理、建物、なんでも撮れることが魅力でした。
これまで好きで撮っていた写真でしたが、仕事となると何も知らない、何もできないことを思い知らされました。
時には、会社の先輩や上司にビシバシしごかれ写真が嫌いになりかけた事もありました。
それでも続けられたのは、「好き」が根底にあったのだと思います。
なんとか人並みの写真が撮れるようになった頃、家族の事情もあり石垣島に戻ることになってしまいました。
半分強制的な帰郷ではあったのですが、東京で身につけた力を、カメラを好きにさせてくれた地元で活かそうと思いました。
石垣島では、フォトウェディングのロケーションフォトの会社に就職しました。 ここが僕の一番の転機です。
ですが、ロケーションフォト、外で撮影するということは、結婚式で撮影するということとも、また違いました。
結構はじめの頃は余裕もなく、あたふた撮影していたことを思い出します。
でも、慣れない撮影で緊張するのはお客様も同じ。
そう気付いてから、お客様がどれだけリラックスして、自然体でいられるかを考え、お客様の大事な時間を切り取れるようにと考えながらシャッターを切れるようになりました。
趣味から始めたカメラ、好きで始めたフォトグラファーという職業ですが、今では天職だと思っています。
おふたりの、大事な時間を記憶と記録に残すお手伝いができるからです。
2022年9月に前職ロケーションフォトの会社から退職し、BlueSodaに参加。
フリーランスとしても活動を始めました。 ウェディングはもちろんのこと、ファミリーやカップル、ニューボーンから成人式と人生において節目となる日を残せるようにと日々勤しんでいます。
カメラの力を借りて、一期一会から一生の大切な写真を撮れる関係性をつくっていきたいです。
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