三渓園の魅力! 重要文化財をバックに撮影できる!!
三渓園の庭園の概要についてお伝えしましたが
三渓園は、日本庭園としても広大で大変すばらしいのですが、
三渓園には多くの重要文化財が保存されて、日本庭園の雰囲気を引き立てています。
日本庭園内にある重要文化財を背景に撮影する事で、お二人の和装姿を一層引き立てています。
そんな三渓園にある重要文化財のご紹介をさせて頂きます!!!

*********************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************
【臨春閣】
江戸時代前期、1649年(慶安2年)建築されました。
1915年に移築されました。岩出御殿。数寄屋風書院の建物です。
第一屋に玄関があり。第一屋と第二屋が平屋、第三屋のみが二階建てとなっております。屋根は檜皮葺き、庇は杮葺き。
2019年1月から30年ぶりの大規模修理に入り2023年に修繕が完了しました。
この臨春閣の姿は内苑の景観の中心となるもので、三溪園が「東の桂離宮」と称される所以となっています。
御門から撮影をしたときに御門から続く石畳の先に檜皮葺屋根が写真に写ります。
また、紅葉時期には臨春閣の後ろにある壮大な紅葉を背景に和装撮影をすることができます。


【月華殿】
安土桃山時代、1603年(慶長8年)建築。
三室戸寺金蔵院(京都府宇治市)より1918年移築。
屋根は檜皮葺き、入母屋造で、庇は杮葺きです。
内部は、檜扇の間(十二畳半)と竹の間(十五畳)から成っております。
檜扇の間と竹の間の境には欄間があり、この欄間の縁は黒漆塗り、狩野永徳の下図によると伝えられている菊花と菊の葉の透彫が入れられています。
(現在工事中のためご覧いただけません)
【春草廬】(しゅんそうろ)
安土桃山時代建築の茶室。織田有楽斎の作といわれています。九窓亭とも呼ばれておりました。
前項の月華殿同様で、三室戸寺金蔵院より1918年移築されました。
元は同院の客殿であった月華殿に付属していた茶室です。
現在の春草廬は、月華殿から切り離され、新たに八畳の広間と水屋が付加された形になっています。
外観は軒の深い切妻造杮葺きの屋根です。茶室は、三畳に台目畳を加えた広さで、点前座と向き合って床の間があります。特色は窓が多いことです。窓は、点前座に勝手付の色紙窓(2つ)と風炉先窓の3つ、床の間の墨蹟窓、客座の三方に5つの合計9つあります。天井は点前座が化粧屋根裏天井で、客座が一面の棹縁天井です。
春草廬という名称は、同じく三溪園に移築された臨春閣とともに大阪の春日出新田八州軒から三渓が手に入れた茶室につけられていた名前です。
この建物は三溪園に建てられることはなく、松永耳庵に譲られて、現在は東京国立博物館の構内に移されている。三渓は九窓亭に春草廬の名前を付け替えた。
近くには藤棚があり、春にはツツジの花がたくさん咲いています。
【旧天瑞寺寿塔覆堂】(てんずいじじゅとうおおいどう)
1591年(天正19年)建築。
豊臣秀吉が母の長寿を祝って建てたものといわれています。旧大徳寺塔頭天瑞寺より1902年に移築されました。
近くにモミジの木があり、真っ赤なモミジとのコントラストがすてきです
【聴秋閣】
1623年(元和9年)建築。徳川家光の命により佐久間実勝が京都・二条城内に建築。
当時は「三笠閣」と称した。これが家光の乳母である春日局に下賜され、春日局の孫の稲葉正則の江戸屋敷に移築。さらに1881年に東京府牛込区若松町(現・東京都新宿区若松町)の二条家(当時の当主は二条基弘)に移築。1922年に三溪園に移築。聴秋閣という名は三溪園に移ってからの名である。
秋は真っ赤なモミジに囲まれ、印象的なたたずまいになります
【旧東慶寺仏殿】
江戸時代初期、寛永11年(1634年)の建築。東慶寺(神奈川県鎌倉市)より1907年に移築されました。
【旧燈明寺三重塔】
室町時代1457年(康正3年)の建築。京都府相楽郡加茂町(現・木津川市)より1914年に移築されました。
小高い丘に建てられたその姿は三溪園を象徴する存在となっています。
入園されてからすぐの場所、池を望みながら三重塔を入れて撮影する三渓園の定番として大活躍しています。


【旧燈明寺本堂】
室町時代初期の建築。
上記の三重塔があった燈明寺の本堂で、1948年まで京都府加茂町(現・木津川市)にありましたが、同年の台風で大破して長年、解体・格納されていた。
1982年、三重塔が移築されていた縁により、三溪園に寄贈され、1987年(昭和62年)に移築が完了しました。
堂々としたたたずまいは和装撮影にぴったりのスポットです。

【旧矢箆原(やのはら)家住宅】
飛騨白川郷の一部(現在の高山市荘川町)にあった、入母屋合掌造りの民家。
御母衣ダム建設の水没地域にあったため、1960年(昭和35年)に三溪園に移築されました。
農民の家ながら、式台玄関や書院造の座敷など立派な接客の空間や火灯窓を備え、飛騨の三長者の一人と言われた矢箆原家の格式の高さを伝える、現存する合掌造りでは最大級の建物です。
現在は、移築に合わせて蒐集された飛騨地方の民具が展示されています。
囲炉裏では毎日火が焚かれおり、黒光りした柱や梁、煙の匂いが昔の白川郷での暮らしを感じさせてくれます。
以上、三渓園の重要文化財のご紹介でした!!
実は、まだまだ三渓園の文化財はあるんです!!
また、写真スポットと含めてご紹介させていただきます
三渓園のロケーションの魅力は、日本庭園だけではないってことなんです!!
華雅苑横浜店撮影の空き状況はコチラ!
華雅苑横浜店へのお問い合わせはコチラ!
華雅苑横浜店のご来店相談会予約はコチラ!
↓↓創業以来続く華雅苑のコンセプト↓↓
【日本の文化・伝統をしっかりと残したい】
日本人の心の拠り所である神社や庭園で、とびきりの和装体験をしていただきたい。
そして、すばらしい和の文化を後世に残していただきたい。
そんな願いを胸に、長年、神社の婚礼業務に携わってきた弊社代表が、どこより早く始めた前撮りのロケーション撮影。
【どのお客様にもわかりやすい料金設定】
なるべく多くの方にご興味を持っていただけるよう、創業からプラン内容は明朗に。
前撮りに必要なものはすべてプランに含まれていますので、プラン料金から値上がりしません。
プランさえ決まれば、後は撮影を心から楽しんでいただくのみ。
ご相談から撮影当日まで、専属スタッフがしっかりご対応します。
【季節や場所の個性まで表現したい】
ホテルやチャペルでドレスを着用した挙式がスタンダードとなっていく一方、年齢に関わらず前撮りの定番となったのが和装です。
中でも季節の移ろいを感じる神社や庭園での撮影は、どこか清々しく心まで整うよう。
神聖な空気も一緒に映し出せるよう、ストーリー性のある構図、ポージング、光の取り入れ方などを考慮しながら撮影を進めていきます。
神社や庭園・スタジオという背景の中で、和装の美しさをどのように引き立てるか。
そしておふたりの魅力をどう表現するか。
年間平均1万組のカップルとお付き合いしてきた経験豊富なスタッフが対応させていただきます。
撮影にはご家族やご友人が同席されることも多いです。
おふたりの思い出の品を撮影小物として使うことも可能です。
【必ず写真データを含めています】
はにかんだ微笑みも、弾けるような笑顔も、ふたりだから残せる大切な記録です。衣裳1点につき100カットほど、いろんな表情を写した画像データは、すべてのプランに含まれています。
店舗に引き取りに来ていただく場合は、撮影の2日後にはお渡しが可能。
また、なかなか来店できそうにないという場合には、宅急便でのお届けも承っています。
お二人の希望の前撮りを実現するために
どんなことでも構いません
気になることがありましたらお気軽にご連絡ください!